大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和26年(ナ)20号 判決

原告 菅沢忠一

被告 千葉県選挙管理委員会

一、主  文

原告の請求はこれを棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

二、事  実

原告訴訟代理人は、「昭和二十六年四月二十三日執行の千葉県印旛郡遠山村議会議員選挙の当選の効力に関する訴外加藤勘一の訴願に対し、被告が同年六月二十日千選管第一一三号をもつてなした裁決はこれを取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」旨の判決を求め、その請求の原因として、昭和二十六年四月二十三日執行の千葉県印旛郡遠山村議会議員選挙の選挙会は、原告並びに訴外神崎喜太郎の得票をいずれも百十三票、訴外根本庫之助の得票を百十二票とし、右神崎と抽籖の上原告を最下位の当選人、右根本を最上位の落選人と定めた。右当選の効力に関し、同村居住の訴外加藤勘一から右選挙会が原告の得票とした「菅沢正」なる投票は無効であるから、これを原告の得票数から控除すると、原告の得票数は前記根本庫之助の得票と同数となるゆえ、両者は抽籖によつて当選を決すべきであると主張し、同年四月三十日遠山村選挙管理委員会に異議を申立てたところ、同委員会は同年五月三日右投票を原告の有効得票と認め、右異議申立を排斥した。そこで前記加藤は同月九日被告に訴願したところ、被告は同年六月二十日千選管第一一三号をもつて前記「菅沢正」なる投票を無効と認め、前記遠山村選挙管理委員会の決定を取消し、原告の当選を無効とする旨裁決した。しかしながら被告の裁決は左の理由により失当である。即ち前記遠山村議会議員選挙の実状を調査するに、「菅沢正」なる投票の効力を判定するについて考慮せらるべき他の候補者は岩沢正、岩沢秀亮、小池正、須賀沢平作の四名があるのみである。しかして右「菅沢正」なる投票の記載態様を実地に調査するに、その記載は鉛筆にてなされ、最初に「岩沢」の「岩」の冠である「山」を記載し、その下に「一」を記したる「山一」の形跡が見られるが、更に右「山一」を指をもつて幾分消さんとしたもののようである、しかしてその上を一段と強く「菅」の字を記載し、下に続けて「沢正」と記載されてある。してみると最初「岩」の字の一部を書きかけ、意識してこれを取消し、「菅」の字を書いたのであるから、岩沢姓の候補者に投票する意思のなかつたことは明らかである。次に小池正との関係であるが、投票者が故らに「菅」の字を強く書いている点から見て「小池」と「菅沢」とを混同して記載したものとは解し難いのみならず、「小池」と「菅沢」とは文字の形態よりするも、又その発音よりするも些少の類似点を認め得ないのである。或は前記「菅沢正」なる投票は原告の氏と小池正候補者の名とを混記した投票ではないかとの疑問が起きるかも知れない。しかしながら原告居住地附近における原告の「忠一」なる名の呼称について考察するに、正しくは「ただかづ」と読むべきであるが、一般には「ちゆういち」又は「ただいち」と呼ばれており、特に原告の居所たる大山部落附近においては単に「ただ」さんと呼びなされているのである。若し「正」を「ただし」と読むならば、前記「ただいち」との間に発音上多大の類似点が発見される。即ちいずれも「た」に始り、「し」と「ち」はいずれも母音の「い」によつて要約されているのである。即ち「忠」と「正」とは文字の形態においては異つているが、発音上よりは正しく同一系列に属しているものといい得よう。してみると前記「菅沢正」なる投票を単純に原告の氏と小池正候補者の名とを混記したものと速断することは許さるべきものではないのである。終りに須賀沢平作との関係であるが、前記投票に記載された文字の筆蹟から見て投票者は文字を知らない無学文盲の者とは認めなれないから、「須賀沢」を当て字で「菅沢」と書いたとは考えられないのみならず、「正」と「平作」とは文字の形態においても又その発音においても全く相通ずるところはないのである。以上の点を綜合すると、前記「菅沢正」なる投票は、岩沢正、小池正、須賀沢平作等の各候補者と何等関連性なきことを首肯し得るのであつて、一般に選挙人は通常候補者に投票するものであるから、右投票は当時の候補者である原告の有効得票と認めるを相当とすべく、従つて被告のなした前記裁決は失当であるゆえ、これが取消を求めるため本訴請求に及んだ次第であると述べた。(証拠省略)

被告代表者は、「原告の請求を棄却する」との判決を求め、答弁として、本訴提起に至るまでの経過が原告主張の如くなることはこれを争わないが、係争の「菅沢正」なる投票を実地に調査するに、投票者は最初候補者たる岩沢正、岩沢秀亮の「岩沢」の「岩」の冠である「山」を記載し、その下に「一」を記し「山一」と記載し、その上に「菅沢正」と記載しているのであるから、他事を記入したものとして右投票は無効である。仮に記載態様よりして菅沢姓の候補者に投票する意思の下に記載したとしても、候補者中に小池正があり、被告が菅沢姓を名乗る唯一の候補者たる原告に対する投票を調査したところによると、原告が「ちゆういち」又は「ただいち」と呼称されている事実は認められるが、「ただ」と呼ばれているとは認め難い。仮にそのような事実があつたとしても、「正」を「忠」と書くような選挙人であれば、候補者中に須賀沢平作があるから、「菅沢」も「須賀沢」の当て字であるかも知れないのである。しかるところ前記投票に記載された文字の筆蹟から見ると、投票者は候補者の氏名及びその文字を知らない選挙人とは考えられないから、係争の前記投票は候補者の何人を記載したかを確認し難いものとして無効たるべきものである。以上のとおり右投票はいずれの点からしても無効のものであるから、被告が該投票を無効と認めてなした前記裁決は正当であると述べた。(証拠省略)

三、理  由

昭和二十六年四月二十三日執行の千葉県印旛郡遠山村議会議員選挙の選挙会が得票原告及び訴外神崎喜太郎各百十三票、訴外根本庫之助百十二票とし、原告と右神崎を抽籖の上原告を最下位の当選人右根本を最上位の落選人と定めたところ、右当選の効力に関し、同村居住の訴外加藤勘一から同年四月三十日遠山村選挙管理委員会に対し異議を申立てたるに、同委員会は同年五月三日これを排斥したので、同訴外人が同月九日被告に訴願したところ、被告が同年六月二十日千選管第一一三号をもつて前記選挙会並びに遠山村選挙管理委員会が原告の有効得票とした「菅沢正」なる投票を無効と認め、前記遠山村選挙管理委員会の決定を取消し、原告の当選を無効とする旨の裁決をなしたことは当事者間に争のないところである。原告は右投票は原告の有効得票と認むべきであると主張するに対し、被告はこれを否認して該投票は他事を記載した無効のものである、仮に然らずとするも候補者の何人を記載したかを確認し難い無効のものであると抗争するので、案ずるに、成立に争のない甲第四号証(本件係争の投票)を仔細に査閲するに、その記載は鉛筆にてなされ、最初に「岩沢」の岩の冠である「山」を記載し、その下に「一」を記し「山一」を記載した形跡が見られるが、その上を一段と濃く鉛筆で「菅」の字を記載し、更に同様下に続けて「沢正」と記載されているから、右「山一」の記入よりして係争の右投票を他事を記載したものと認めるのは相当でなく、却つて原告の主張するが如く岩沢姓の候補者に投票する意思のなかつたものと認めるを相当とする。よつて進んで右投票を原告の有効得票と認むべきかどうかを判断するに、前記遠山村議会議員選挙において菅沢姓を名乗る候補者は原告唯一人であつたことは被告の自認するところではあるが、候補者中に小池正、須賀沢平作のあることは当事者間に争のないところであつて、係争の右投票記載の「正」が右小池正の「正」と通ずることは明白であるから、該投票を原告の有効得票と認めるためには、原告が唯単に「ただ」と呼称されていたかどうか、仮に「ただ」と呼称されていたとして「正」を「忠」の当て字と解するを妥当とするか否かに帰することとなる。そこで原告居住の大山部落における原告の名の呼称について先ず審究するに、証人神崎泰治の証言によると、同部落においては原告の名を唯単に「ただ」又は「ただ」さんと呼びなしていることを窺い得べく、これを左右するに足る何等の証拠もない。してみると「正」を「忠」の当て字と解するを妥当とするかどうかの一点に帰することとなる。証人鬼沢正の証言によると、同人の住居附近においては、同人の名が唯単に「ただ」又は「ただ」さんと呼びなされていることを窺い得るから、原告の名の呼称と前記小池正の名の呼称との間には同一点があるものと推定するのもあながち失当ではない。加之「正」を「ただし」と読むならば、原告の名が「ただいち」と呼ばれていることは被告の自認するところであるから、「ただし」と「ただいち」との間には、いずれも「た」に始り、「し」と「ち」はいずれも母音「い」によつて要約されているのであるから、発音上同一系列に属しているものといい得よう。しかしながら本件係争の投票(甲第四号証)に記載された文字の筆勢、字態を査閲すると、投票者は候補者の氏名及びその文字を知らない選挙人とは認められないから、「忠」の当て字として「正」を記載したものと解するならば、「菅沢」も前記候補者須賀沢平作の氏たる「須賀沢」の当て字と解することもあながち失当とはいい得ない。尤も「正」と「平作」との間には文字の形態においても又その発音においても全く相通ずるところはないのであるが、前示証人鬼沢正は同人の名を「忠」と書いて来る人は稀にしかないと証言し、又証人神崎泰治は「忠」を「正」と書いたのを見たことがないと証言しているので、たやすく前段の認定を覆えすに足る資料となすことができない。そうだとすると、本件係争の投票は候補者の何人を記載したかを確認し難いものというべく、従つて公職選挙法第六十八条第七号に該り無効とすべきものである。してみると、原告及び前記根本庫之助の得票数はいずれも百十二票であるから、両者はくじによりて当選人を定めるべきである。よつて右投票を無効と認めてなした被告の前記裁決は正当というべく、従つて原告の本訴請求は理由ないものとして棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九十五条、第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 柳川昌勝 浜田宗四郎 中村匡三)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!